観客に届かなければ、始まらない。観客に届かなければ、始まらない。
今まで、小劇場をはじめ、いろいろな舞台を観てきました。その中で、ときどき感じていたことがあります。作り手が見せたいものを表現することが優先されすぎて、観客が観たいものを届けるという、エンターテインメントの大事な部分が弱くなってはいないだろうか。
芸術的な表現や、実験的な演出を否定したいわけではありません。舞台にしかできない挑戦は、きっと必要です。
けれど、演劇はまず観客に届けるものです。作り手が見せたいものをそのまま差し出すのではなく、観客が観たいものを通して、その奥にある伝えたいことを届ける。その順番を、大切にしたいと思いました。
「観客が観たいもの」を通して、作り手が伝えたいことを届ける。「観客が見たいもの」を通して、作り手が伝えたいことを伝える
まず、楽しんでもらう。まず、楽しんでもらう。
だから、私たちは喜劇を中心に作品をつくります。ただし、面白いことや笑えること自体が、最後の目的ではありません。
笑いは、観客が作品に興味を持つための入口です。登場人物を好きになり、物語にのめり込み、そこで起きていることを感じたり、考えたりする。その扉を開くために、まず面白くありたい。
ただ笑えるだけでも足りない。ただ「すごい」と思わせるだけでも足りない。けれど、楽しんでもらえなければ、その先にあるものを受け取ってもらうこともできません。
演劇は、面白くなくちゃいけない。演劇は面白くなくちゃいけない。
人生に、小さな波紋を。人生に、小さな波紋を。
観客には、あくまで観客として物語を楽しんでほしいと思っています。そのうえで、舞台を観ながら、ほんの少しだけ自分自身のことも考えてもらえたら。
もし自分がこの物語の中にいたら、どうするだろう。何を言うだろう。どう生きるだろう。そして、ふと立ち止まる。
今、自分はどう生きているんだろう?
作品を観たことで、人生が劇的に変わる必要はありません。次の日にはほとんど忘れてしまうような、小さなものでも構いません。
それでも、いつか何かを選ぶとき。誰かと話すとき。自分自身について考えるとき。あの日の舞台が生んだものが、小さな波紋として残っていたら、そこには意味があると思います。
世界中から酷評される作品だったとしても、たった一人の人生に波紋や傷跡を残せる作品でありたい。その結果を、作り手は一生知らないかもしれません。それでも、その可能性のためにつくります。
たった一人でも、誰かの人生に波紋を残したい。たった一人でも、誰かの人生に波紋を残したい。
できることから、はじめる
世界が、ほんの少しでも良い方向へ変わってほしい。そう願ってはいても、一人の人間がいきなり世界を変えられるわけではありません。
だからまず、自分の身近なところから始めることにしました。
そして、自分ができることを振り返った時、そこには演劇がありました
天は二物を与えず俺には演劇の才能しかない
正確に言えば、自分にあるものの中で、唯一マシなのが演劇だった。それ以外は何もできません
そんな男に世界は変えられない。でも、演劇ならできる。
自分にできることを使って、目の前の一人に何かを届ける。
このとき、すべてが走り始めました
未来を、あきらめない。
かつて人々が思い描いた未来では、科学や技術は進歩し、暮らしは今より豊かに、便利になっていくと信じられていました。その未来の街では、クルマは空を飛んでいると想像されていました。
それは、ただ新しい乗り物が生まれるという話ではありません。今より明るい明日がやってくると、人々が信じていた未来の風景でした。
けれど現在、未来は今より良くなると素直に信じることは、以前より難しくなったのかもしれません。
「未来は絶望しかない」。そう思っている人もいるでしょう。何もかもが苦しくて、諦めたくなる人も、たくさんいるでしょう。
でも、諦めたくない。
空を飛ぶクルマをつくる技術はありません。世界を一気に変える力もありません。
でも、俺には演劇がある。
演劇で、目の前の一人の心に小さな波紋を起こす。その波紋が、いつかまた別の誰かの心に波紋を起こす。
一人に生まれた小さな変化が、誰かへ、さらに誰かへとつながっていく。
そんな小さなことを積み重ねた先に目指すのは、みんながかつて思い描いていた、あの明るい未来――
そう、それが
